ナベリヲログ

自分より10以上年下の VTuber が生配信で「出会いを大切にね」と言っていて

僕はバーチャル YouTuber (以下 VTuber) が大好きなのでいろんな VTuber の配信を見ているのだけれど、ただのポエムなので特に名前は言わないけれど最近誕生日を迎えた推し VTuber が誕生日記念の生配信をしていたので圧倒的な尊さにふるふるしながら僕はスマホの画面を見つめてました。

そこで彼女は「全ての出会いは運命だと思っていて今私がこうしていられるのも出会えた全ての人のおかげで、全ての出会いに感謝しています」と、そういう趣旨のことをしっかりとした言葉で話していました。

「みんなも出会いを大切にね」と、そう言っていました。

目がうるうるした。

年を重ねるごとに人と会うことに億劫になり、多くの人が集まる場にはいかなくなり、本当に気心知れた人間としか関わりを持とうとしない生き方をしている自分をそこまで問題だと思ってはいない。
もちろん僕がそうやっている間に多くの人と出会い、関わり、絆を深めている人と僕の間では人生にやってくる楽しい瞬間の数がまるで違うのかもしれないとは思いつつも僕は僕で一人で取り組めることがとても好きで自ら楽しい瞬間を作って経験してというのやっていてそのことは尊いことではないだろうかとか思ってたりもする。

こんなこと今までめちゃめちゃ考えてきたことで今更でしかないんだけれど、そんな僕が学ぶことというのは僕が学びたいことであって、僕は僕が良いと思うものを摂取していて、でもきっとたくさんの出会いを経験している人はもっと雑多な幅広いものを日々摂取して誰かが良いと思うものを自分でも経験していて、そんな人たちと僕との間ではきっと見えてる景色が全然違うんだろうなあ、みたいな。

とりとめもないことをポツポツと書いているけれど、結局僕が言いたいことはこんなこれまでの人生で何度も見てきたような言葉でも、僕が本当に素敵だなあと感じている小さな女の子の言葉として聞いただけで僕の感情はこんなにも揺れるものなのかという。
なんかちょっと変態っぽいなこれ。

もう年齢的には誰かにおっさんと言われても否定する気も起きないようなレベルだけれど、まだまだ幼い頃と何も変わらず自分が嫌になったりなんだかんだでそんな自分を許してしまったりそれでもまた変わりたいという気持ちが溢れてきたり、社会の中での立ち位置はどんどん変わりつつも根底にあるぶれっぶれの精神性という形は何も変わっていないんだなあ、と、そんなことを思った。

コロナもそろそろ落ち着いてきたし少し無理をしていろんな人と話してみようかな、と、ちょっとだけ思った。

VTuber は本当に最高なのでみんな見ろ。終わり。

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